ああ、しんど! 酷暑の広島で5日間の取材

今年の猛暑は常軌を逸していますが、8月16日から取材で訪れている広島の暑さも大変なものがありました。とにかく、日射しの強さといったらありません。サングラスなしではまぶしすぎてたまらないといった感じでしたから、往生しました。それでも毎日、市内のあちこちを歩きまわり、一昨日は、宇品にある広島港から江田島、さらに呉市へと足を伸ばしてきました。

L1050150 江田島はご存じのように、かつて海軍兵学校(将校を養成する教育機関)があったところです。その昔、私がまだ小学生だったころ、母親が「江田島の海軍兵学校は、全国から優秀な生徒が集まってきて、女学校に通う女の子のあこがれの的だったのよ」と、よく口にしていたことを思い出しました。実際、その敷地に入ると、なかには素晴らしいレンガ造りの校舎や講堂が当時のまま残されていて、いかにもといった印象を受けました。思わず絵葉書を買い、母親に送ってやったほどです。

海軍の将校というのは、世界的に共通することのようですが、頭脳明晰なだけでなく、マナーや社交術といった面でもきちんとした教育を授けていたようで、だれもが国際人として通用する力を備えていたといいます。太平洋戦争のさなかにあっても、ここだけは英語の教育が続けられていたことからも、それは理解できるでしょう。江田島も、校舎はイギリス人の設計によるものだそうですし、教育参考館はギリシャの神殿風、講堂の外壁には花崗岩を使うなど、とにかくお洒落な感じなのです。

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もちろん、お洒落なところで教育を受けたからといって即お洒落な人間に育つわけではありません。でも、教育というものの一指針を示しているような気はします。

L1050175 江田島からフェリーで20数分のところにある呉は、かの名画『仁義なき戦い』の冒頭のシーンが強く印象に残る、かつての海軍の街。同時に、戦艦大和など数々の軍用艦を建造した軍事産業のメッカでもありました。戦後、ここにもあったヤミ市が、昭和40年代初めまで続いた、ヤクザどうしの激しい抗争の出発点だったと思うと、不思議な感じがします。

映画で何度となく目にしているせいか、中通りの繁華街、また、それにつながる路地にあるスナックなどの飲食店を見ても、初めて訪れた場所とは思えません。深作欣二監督がこの映画で徹底的にリアリズムを追求したのが実感したしだいです。