スポーツも政治も、日本のマスメディアは未熟

なんとまあ、時間の経つのは早いことか! 昨日で今年も半分終わってしまいました。今年前半の大ニュース、いろいろあるでしょうが、私個人にとっては、これまでになく多くの映画を楽しめた(今年前半で40本弱)のが最大の〝事件〟です。

映画についてはいずれ、このブログでも発信しようと思っていますが、いまはひと言だけ。映画(演劇やコンサート、小説などもそうなのでしょうが)というのは、やはり人それぞれ、評価が大きく異なるものなのです。だれかが「めっちゃ面白い!」といくら興奮していても、自分にとってはそうでもない、どころか「どこがいいわけ?」といいたくなるようなものもあるということです。そして、その「だれか」には、マスメディアや有名な評論家も含まれます。

それに比べると、社会的なできごとについては、自分と距離が離れている分、マスメディアやそこに出てコメントを発する人にいとも簡単に影響されてしまうのではないでしょうか。鳩山総理が辞めて菅直人政権が誕生したとたん内閣支持率が急上昇したり、一時は「やめろ!」とまでいわれたサッカー日本代表の岡田武史監督に対する評価が、決勝トーナメント進出を決めたとたん「日本一」に一変わしてしまったり。「権威あるものに従う」「まわりの意見に合わせようとする」日本人の国民性のようなものは、昔もいまも変わらないようです。

L1040730 それでもなおかつ、ワールドカップでの日本代表の戦いぶりは、これまでで最高だったように思います。私がいちばん感動したのは「サッカーは団体スポーツであることを示したい」という、岡田監督の言葉でした。サッカーにかぎらず、野球もバスケットボールもラグビーも、団体競技のはずなのに、日本のマスコミはすぐ「ヒーロー」「スター選手」を仕立て上げ、ことさらに持ち上げようとします。それが本人のためになるかどうかはどうでもいいのですが、一緒にプレーしているほかの選手にどんな影響を与えるかまでは考えていないような気がしていました。

これは「個」のレベルについてだけではありません。団体競技にはかならず戦う相手がいるのに、勝ったチームにだけ異常に肩入れするのも同じことです。セ・リーグの巨人や学生ラグビーの早稲田がいい例です。盟主とか伝統とかいったことも大事なのかもしれませんし、負けたチームの努力が足らなかったという見方も間違ってはいないでしょう。でも、負けた相手チームがあっての勝ちチームであって、巨人がいなければプロ野球は成り立たないだの、早稲田あっての学生ラグビーだなどという考え方は本末転倒ではないかと思うのです。

最悪なのは、そうした報道のされ方が長年続くと、知らぬ間に偏った「刷り込み」がなされてしまうということです。コアなファンの間ではそうしたことは起こりにくいでしょうが、「コア」はあくまで少数派でしかありません。3分の2、ときには4分の3もの人が、マスメディアが持ち上げる個人やチーム(団体や組織)を無批判に肩入れしてしまっては、スポーツも、また政治も健全な発展はしないことでしょう。

また、フェアにものを見るという態度も失われてしまいます。(プロ)スポーツに対する人々の立ち位置、政治との関わり方が、世界的に見ていまだに一流の域に到達できずにいるのは、それについての情報を人々に伝えるマスメディアの手法があまりに未成熟であるからのように思えてなりません。