ベルゲンから北極圏に向かって出発

2019年3月23日
ノルウェーのベルゲンを訪れたのは2014年8月以来。前回は同地の世界遺産「ブリッゲン」を観るのが目的だったのですが、今回は「ノルウェー絶景航路とオーロラ観賞クルーズ」というツアーの出発地になっているため。日本から到着して1泊目がこの町というわけです。コペンハーゲンで乗り継ぎ、小雨降る空港に着いたのは8月22日午後6時過ぎ。偶然ですが、前回泊まったのと同じホテルでした。

 

今回のツアーは行き帰りともスカンジナビア航空で、食事はとてもよかったです。2回とも、3種類あるメインディッシュのメニューを並べたトレーをCAが運んできてくれましたが、「自分の目で見て選べるのはありがたい」とは家人の弁。たしかに、これなら見た感じから得る印象と直感で選べるので、万一おいしくなくても、納得度が違います。幸い、カンが冴えていたのか、どちらも満足できました。

「Beef or chicken?」とたずねられ、どちらか(3択のケースもありますが)を選んで失敗した経験は、誰にもあることでしょう。私たちの場合、リスクマネジメント(大げさな言い方ですが)というか保険をかけるというか、たいてい、それぞれ別のものを選ぶようにしていますが、それでも残りの一つのほうがよさそうだったというケースもなきにしもあらず(隣の席の人が食べているのを見てそう思ったり)。どれを選んでも大丈夫というキャリアー(航空会社)もあるにはありますが、いつもその会社の便に乗るわけではないので、なかなか難しいところがあります。

さてさて、スカンジナビア航空は、派手なCMはしていませんが、やはり伝統が違うというか。第2次世界大戦後まもない1951年から日本に乗り入れているそうで、昔からなじみはありました。私が小中学生当時、テレビでCMを流している航空会社といえば、スカンジナビアのほかBOAC(英国海外航空)とエールフランス、パンアメリカンくらいだったのでないでしょうか。しかも、1957年には、他の航空会社に先駆けて北極ルートの北回りヨーロッパ線を開設しています。派手派手しい宣伝をしないのが北欧らしさかもしれません。

今回のツアーはキホン「船」です。出航は今日の夜10時半なので、それまでは町の中を観光。世界遺産の「ブリッゲン」を手始めに、「フロイエン山」、魚市場と土曜日でたまたま開かれていてファーマーズマーケットをのぞき、ランチ。午後はコーデ(KODE)地区にある「美術館3」でムンクの作品を鑑賞しました。

 

ベルゲンというところはとにかく雨が多いことで知られており(年間降雨日数は軽く200日を超える)、しかも天気が変わりやすいそうです。たしかに、この日も、「フロイエン山」にケーブルカーで出発したところ、途中までは窓に雨が打ちつけていました。ところが、頂上の展望台に着いた頃はウソのような青空が。しかし、それもつかの間、小1時間ほどして下に降りたときはまたまた雨です。

続いて訪れたのが「美術館3」。ノルウェーの生んだ名巨匠エドヴァルド・ムンクの代表作『叫び』のオリジナルを観たのは5年前、首都オスロの国立美術館でしたが、ここに展示されているのは、それ以外の作品の数々。ムンクがさまざまな試練に遭い、精神を病んでいくにつれ絵も変わっていきます。その兆候が感じられるような作品もいくつか観ることができました。

いちばん印象に残ったのは『病院での自画像』(1909年)。ムンクは1902年、裕福なワイン商人の娘トゥラ・ラーセンに結婚をめぐって争いピストルで撃たれたことがあります。その事件で受けたショックなどが引き金となり、それ以降は妄想を伴う不安が高まり、アルコールにひたる日々を送るように。ときには暴力事件を起こしたこともあるようです。さらに、対人恐怖症の発作にもたびたび襲われたようで、それが頂点に達したのが1908年。その年の10月には、自分の意思でコペンハーゲンの病院に入院し、治療を受け始めたといいます。そのさなかに描いたこの絵は、ムンクの素晴らしい芸術的センスが自身の服装にあらわれているように思いました。どことなく精悍な表情も見られ、本当に精神を病んでいるのか、疑わしいほどです。

「美術館3」に展示されているムンクはじめ、ほとんどすべての作品は、ノルウェーの実業家ラスムス・メイエルがこの頃買い求めたもので、それによってムンクの名前と作品は一気に広まったといいます。たしかに、絵を描き始めた時分の『朝(ベッドの端に腰掛ける少女)』(1884年)をはじめ、『浜辺のインゲル』(1889年)『カール・ヨハンの春の日』(1890年)などは、『叫び』と同じ作者のものとは思えません。

 

しかし、それらとほぼ同じ頃(1892年)に描かれた『カール・ヨハン通り』を観ると、翌93年の『叫び』に通じる独特の悲しい表情が見られ、なるほどと思いました。5歳のときに母が、14歳のときに姉が病死した経験がムンクの生涯に影を投げかけたと言われるように、それがひょっこりとですが、如実に出ていました。

夕方、これから1週間乗る沿岸急行船(フッティルーテン=HURTIGRUTEN)のフィンマルケン(FINNMARKEN)号に乗船するため桟橋に向かいます。いまさら言うまでもありませんが、チェックインや荷物の運び込みは旅行会社がすべてやってくれるのがツアーのメリット。あとはルームキーをもらうだけです。

キャビンは予想していたよりはるかに広く、感動です。人間、もともとの要求水準が低いときに、それより上のものを提供されるとうれしいですからね。いまさらかもしれませんが、クルーズの利点の中で際立つのは、スーツケースの中身を全部出しておけることに尽きます。しかも、空にしたらベッドの下に置いておけるので、部屋の面積が多少狭くても不自由を感じません。私自身はそれほど感じませんが、加齢とともに、重いスーツケースを転がしながら歩くのがつらくなってくると、家人はよく言います。