「琉球フェスティバル」は、都心に出現する“異次元空間”

2018年9月23日


4年ぶりの「琉球フェスティバル」。沖縄の音楽にどっぷり漬かることのできるイベントの中では、「うたの日コンサート」と並んで大規模なものです。後者はBEGINが主人公と決まっていますが、「琉フェス」にはそうした存在がありません。あえて言うなら司会のガレージセールですが、中身はかなりアバウトなところがあります。ただ、会場は日比谷野外音楽堂と決まっていて、しかも大変な長丁場になるのが特徴。4時ごろ始まり、終わるのはたいてい9時近くです。

「琉球フェスティバル」は同じ名前のイベントがもう一つあります。一つは1965年に琉球新報社主催で始まったもので、こちらは沖縄の伝統芸能を中心に日舞、洋楽なども含めた総合的な芸術祭で、沖縄県内で毎年4月におこなわれています(ただ、今年はおこなわれたのかどうかわかりません)。

もう一つは1974年、評論家・竹中労(故人)が企画して大阪と東京で開かれた音楽イベント「琉球フェスティバル」。このときは日比谷野音に観衆7000が詰めかけ、琉球新報は「東京に沖縄解放区が実現した」と報じたといいます。よほど爆発的な盛り上がりだったのでしょう。同フェスティバルは翌年も東京で2回開催されましたが、その後20年間途切れてしまいます。それが、91年5月に亡くなった竹中の追悼の会=「琉球フェスティバル1991」として同年9月20日、川口リリアホールで開催され、さらに4年後の95年、大阪で復活。翌96年からは、毎年東京と大阪で開催されるようになりました。現在では、県内外で最大規模の沖縄音楽の祭典として定着しているようです。

売りはもちろん、沖縄の一流ミュージシャンが顔をそろえることにありますが、毎回、途中から集団野外飲み会的な要素が色濃く出てくるのが最大の特徴でしょう。

「会場内への飲食物の持ち込みは禁止です。特にビン類の持ち込み品を発見した場合には没収させて頂きます」とか「出演者へ飲食物を渡す行為はお止めください」と書かれた貼り紙もしてあるのですが、重そうなレジ袋・手提げ袋や大きなクーラーボックス持参の観客が次々と入ってきます。その結果、どこを見ても泡盛やオリオンビールをガンガン飲っているという状況に。つまみも、会場内の売店では売られていないものが目につきます。

自分たちだけで飲み食いしているうちはいいのですが、酔いが回ってくると、泡盛、それも生(き)のままで、司会のガレージセールの2人に手渡し、「飲め、飲め」とはやし立てるため、断わり切れず一気飲み。始まって1時間も経ったころにはすっかりでき上がっているという具合です。私たち観客には見えませんが、舞台の裏でも出演者どうしで呑み合っているのではないでしょうか。こうなるともうワケがわからない感じで、出演者も三線【さんしん】を観客席に向かって投げたりし、最後は会場全員が総立ちになってカチャーシー。これが東京のど真ん中で繰り広げられるのがなんとも面白いのです。