長年のあこがれ・熊野古道に“チャレンジ”??

2016年10月17日
今日から3日間かけて、長年の課題だった「熊野古道」にチャレンジします。「チャレンジ」というにはいささかおこがましいのですが、それでも細い山道を1時間以上かけて歩くなど、東京にいてはまず経験できないこと。それを実行してみるだけでも、とても意義深いことのように思えます。

きっかけは、ひと月ほど前に和歌山県田辺市立美術館から届いた「開館20周年記念コレクション展2 現代絵画─戦後の抽象─」の案内状。同美術館に収蔵されている祖父・德次郎の作品が3点、今回分館のほうに展示されるというのです。分館は「熊野古道なかへち美術館」という名前のとおり、熊野古道の途中・中辺路【なかへち】にあります。せっかくの機会なので、観にいったついでに、前々から行きたいと願っていた熊野古道にも足を延ばすことにしました。

お昼前に着いた南紀白浜空港でレンタカーを借り、紀伊半島のほぼ東端にある「熊野本宮大社」に向けて出発。位置関係からすると、初日の今日、美術館に行くほうが効率はいいのですが、月曜日のためあいにく休館です。全国どこでも、このパターンは変わらないようで、仕方なく、本宮を先に訪れることにしました。もともとは山深い地のはずですが、いまでは道路がばっちり整備されているので、いとも簡単に行けてしまいます。道路もガラガラで、途中ランチに立ち寄った店も、客は私たちだけでした。

 

DSC00901  本宮大社も人の姿はまばら。本殿まではもっと険しい階段とか坂道を想像していたのですが、それほどでもなく、楽に昇り降りできました。本殿の裏側が熊野古道のゴール地点になるようで、木々がうっそうと生い茂っていますが、こちらは明日のお楽しみ。1日目なので、あまり張り切りすぎてもあとに響きそうなので、ちょうどころあいの感じです。

DSC00944階段を降りると、もともと本宮大社が建っていた場所に残されている巨大な鳥居が目に入ってきました。田んぼの真ん中といった感じなので、とても目立ちます。飛鳥時代の615年に本宮大社が創建されたのは、熊野川・音無川・岩田川という三つの川が合流するあたりの中洲(大斎原【おおゆのはら】という)で、いまの本宮大社の8倍という広大な敷地だったそうです。上・中・下社の三つから成り、五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台もあったといいます。

それが1889年8月の大洪水で大きな被害を受けました。2年後、上四社がいまの地に遷座し復興したのですが、創建当時の大きな鳥居は元の場所にそのまま残されているのです。高さ約34m、幅約42mという大きさなので、真下のあたりから見ようとすると首が痛くなります。

DSC00926本来の今日の宿泊は本宮の近くに三つある温泉地の一つ。道路から坂を下りていった川っぷちに建つ、一見保養所風の建物でした。川の両岸に施設が広がっており、温泉に入るには、川に架かる吊り橋風の橋を渡っていきます。幸い好天だったのでよかったのですが、雨でも降っていたら、ちょっと躊躇するかもしれません。また、風が吹いたらさぞかし揺れそうです。

それでも、食事の前に1回、食後に1回、翌朝に1回と、いつものとおり3回、お湯につかりました。食事もけっこう充実しており、空いている時期だったので、ていねいなおもてなしを受けられ、よかったです。