「9・11」から15年目、そのご遺族が開いた催しに

2016年9月4日

自宅から車で15分、中野駅にも近い、閑静な住宅街の一角に目的地がありました。区立なので、「産業振興センター」とものものしい名称なのですが、たいそう立派な建物で、利用者がひっきりなしに訪れています。

玄関を入ってすぐ左のコーナーに目をやると、真っ先に大きなアメリカ国旗が目に入ってきます。15年前の9月11日、ニューヨークで起こった同時多発テロの写真などを集めた展示会がおこなわれていました。

この催しがおこなわれているのを知ったのはまったくの偶然。家人が1週間ほど前、夕方のニュースで紹介されているのを見たからです。主催者の住山一貞さんのご長男(当時34歳)はその日、世界貿易センタービルの中にある勤務先で惨事の犠牲となられたとのこと。

昨年9月11日、家人と二人で「9・11」を追悼するイベントに参加しましたが、その日最初の行事は亡くなられたご長男が住まわれていたニュージャージー州のオーバペック・パーク(Overpeck Park)にある慰霊碑の前でおこなわれた追悼の会でした。もちろん、そこには住山さんご夫妻もいらっしゃっていました。そのときはとくに言葉を交わすこともありませんでしたが、私たちが参加した音楽会のあとでおこなわれたレセプションでも同席、そこからホテルに戻る途中、一緒に写真を撮らせていただいたのです。セントラルパークのすぐ南の路上でした。

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住山さんはテロのあと20回以上ニューヨークに足を運んだそうですが、会場には、そうした中で手に入れた現場の写真や資料など30点ほどが展示されていました。その中に、縦6センチ、横9センチほどの鉄骨(世界貿易センタービルのもの)残骸がありました。テロから1カ月半後経ったあともなお続いていた救出活動にたずさわる救助隊員が住山さんに手渡してくれたものだそうです。また、先のアメリ国旗は、犠牲者の葬儀で棺にかぶせるのに使われたものでした。私の頭にもすぐ当時の模様(ニュース映像)がよみがえったのはいうまでもありません。

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見終わったあと、昨年撮った先の写真をプリントし、会場でご夫妻にお渡ししました。住山さんの奥様がそのときのことを覚えていてくださり、しばしお話しすることもできました。ご主人は、息子さんの最期をなんとか知りたいと、550ページを超えるアメリカ政府が作成した、同時多発テロの調査報告書を8年がかりで翻訳したそうです。それを製本したものも展示されていました。原本のほうはボロボロになっていましたが、おそらく数え切れないほど報告書のページを繰ったのでしょう。

「5年に1回、この展示会を開いています」と奥様が話されていましたが、私も生まれて初めて千羽鶴を折り、住山さんに託しました。今年も来週からニューヨークに行き、追悼のイベントに参加されるのだそうです。その場に鶴をお持ちになるということでした。住山さんご夫妻のご健康を祈らずにはいられません。